オヤジ ありがとう

2010年6月21日月曜日

家族

2010年6月15日12時55分
父親が肺ガンのため他界しました。

昨日、無事葬式を終え、
オヤジはじぃちゃん、ばぁちゃんと一緒の墓に入りました。



昨年7月、オヤジは仕事中に転倒し頭部を強打、
救急車で病院に運ばれた。

意識はしっかりしていたが、なにしろ頭部を強打ということで、
念のため病院で検査をしてもらうという形で入院。

朝8時すぎ「オヤジが倒れて集中治療室に入っている」と連絡を受けて病院へ向かう。

集中治療室なんて入ったことないし、入り口は重々しい雰囲気だし、
何が起こって倒れたのかもわからない状況だったので、
ものすごくドキドキしてとんでもなく慌てていたのを覚えてる。

病院に着いてから15分ほど経って集中治療室の中へ。
すぐにオヤジを見つけたんだけど、宙を見つめていて深刻な表情。

オヤジは俺を見つけるなり「俺、ガンだってよ」と俺に言った。

頭を打ったのにガン?
俺はますますパニックになった。

その後すぐに「先生から話がある」とのことで別室に呼ばれる。

「今回、頭部を強打したということで入院になったのですが、
頭部の怪我についてはタンコブができたという程度で大丈夫です」

なんだ、タンコブか。やっぱオヤジは頑丈にできてるんだな。
少しホッとしたところで、先生がまた話を始めた。

「頭部の怪我については心配ないのですが、実は肺に影がありましてね」と。

そして「詳しく調べないとハッキリと言えませんが、ガンの可能性もあります」
そういう内容を先生に告げられた。

ガン?あんなに元気なのに?
だからオヤジが「俺はガンだってよ」なんて言ってたのか。

でもさ、先生が家族に何の相談もなく本人に「ガンかもしれない」なんて
言っちゃうくらいなんだから、仮にガンだったとしても治るんだろう。
その時、俺はそう思ったんだ。

オヤジにも「ガンなわけねーじゃん」って、笑いながら話をしたよ。
だって、絶対にそんな風に見えないくらい「野獣のまま」だったから。

ただ、右の肺は水が溜まっていたようで、水を抜いたりしたので、
1週間くらいの入院にはなる。とだけ伝えられた。

2日ほどして一般病棟に移動。

ちょうどその頃、病院から「話がある」という連絡が入った。
検査の結果をお話しますと。

病院に向かう車の中で色々な事を考えた。
最悪の場合「余命半年です」なんて言われたらどうしよう、とか考えたけど、
「まぁ、治るでしょ」と自分に言い聞かせた。

病院に着いて先生に呼ばれると、先生の手にある書類(カルテ?)に
「肺ガン」と書いてあったのが見えた。

「あぁ、やっぱりガンだったのか・・・」と思っていたら、
先生が「ちょっと深刻な話があります」と切り出した。

「お父さんは肺ガンです。余命半年ほどかと考えられます」

俺、その場で崩れたよ。みっともないくらい泣いてしまった・・・
余命半年だけは勘弁してくれって思ってたのに、そのままじゃん。

手術も無理だということで途方にくれた。
ようするに手の施しようがないってやつだな。

自宅に戻り親戚に相談。
これは正しかったのか間違っていたのか、今でもわからないけど、
全員一致で「治らないなら、告知をせず残りの人生を楽しませよう」ということになった。

俺が一番最初に考えたのは「できるだけ一緒にいよう」ということだった。

俺の家庭の内情を話すのはみっともないけど、実は生まれてこのかた、
オヤジとは一緒に住んだことがなかったんだ。

生まれたての頃は一緒だったみたいだけど、俺はオヤジの両親、
いわゆる「じいさん、ばあさん」に育てられたんだよ。

これも全く記憶にないが、おじさんいわく
「お前のオヤジはお前の事、抱っこしたこともなかったんだぞ」って言われた。

まぁ、なんとなく想像はつく。
だって野獣だからね。
子供より酒と賭け事って人だから、オヤジは。

普通、そこまで親子としての関係が無いとオヤジを嫌いになりそうなもんなんだけど、
俺が成人するまで、ほとんど会話をしない関係だったから、
逆にこれからは一緒にいたいって思ったのかもな。

実際、俺が成人してオヤジがやってた八百屋を手伝った頃から、
話はするようになったし、実は優しい奴じゃん、なんて思ってたくらいだから。

気持ち悪い話かもしれないけど、オヤジに俺の事を「もっと興味を持って欲しい」
って思ってたのかもしれないしね。

ま、結局、俺はオヤジが大好きだったんだな。
ヒザに乗せてもらうことすらなかったらしいけどさ・・・

それからは、できるだけ親父と一緒にいるようにした。
土日、平日問わず、毎日晩メシは一緒に食った。
休みの日は、朝、昼、晩、全て一緒にいた。

バンドの用事よりも、友人よりも、仕事よりもオヤジを優先した。
(皆様、ご迷惑おかけしました)

あー、レイソルだけは観に行ってたな。
終わってからすぐ帰ってたけど。

そんなもんだから「今日はサッカーどうした?どうせ負けだろ?」
なんて会話が多くなったよ。

サッカーなんて全然興味ないオヤジだったけど、
レイソルの試合がある日は、試合が終わる頃、千葉テレビを見て結果を気にしてたみたいだし。
「甲府ってのは強いんだろ?」なんて会話もしたくらいに、だんだん詳しくなっていってたな。

そういう会話が進むにつれて辛さは増したけどね。
もっといっぱい話がしたいなぁとかさ。

オヤジとの思い出らしい思い出もなかったので、旅行にも行った。
昨年9月と今年の2月の2回。

俺がオヤジと旅行したのは、俺が小学生高学年くらいまでかな。
オヤジいわく「ばぁさんがよぉ、夏休みは絶対に子供を旅行に連れて行けってうるさかったからよぉ。」
ということで、夏は鴨川によく旅行に連れていってもらってたんだ。

そんなわけで、今回は立場が逆になって、俺がオヤジを鴨川に連れていったと。
狙ってたわけじゃないけど、予約したホテルが、俺がガキの頃に連れて行ってもらったホテルだった。
オヤジは全然覚えてなかったけどね。



気を使ったんだか「俺が今まで泊まったホテルで、今回のホテルが一番いい」って言ってたな。
あなた、何度も来てるはずですよ!なんて思ったけど、それは言わないでおいた。



たしかに、見晴らしは良いし料理も美味かった。
調べてみたら、かなりの人気ホテルだったみたいで、それは良かったかなと。



喜んでくれたみたいで、次は積み立てして行こうってことにまでなったから、
結構、お世辞ではなく、本気で良いと思ってたのかもね。

昨年9月に旅行した時は、まだまだ全然太ってたし、食欲も旺盛、
酒だって結構飲んでたんだ。

痩せたなぁと感じるようになったのは、11月くらいからかな。
酒も飲めなくなってきていたし、なにより食欲がなくなっていった。

オヤジの誕生日には「肉が食いたい」とのことで、
これまた俺がガキの頃に連れて行ってもらった場所へ。

プレゼントは「金」という人だったので、金をプレゼント。
そしてその金はそのまま、旅行の積立金へ移動。



痩せてきてたし食欲もなくなってきてたから、旅行は無理かもって思ってたんだけど、
積み立てしてまで行きたいのならってことで、2月にもう一度鴨川に旅行した。



その頃はかなり調子が悪く、あまり多くの場所を見たりできなかったけど、
「これが最後かもしれない」って思いがあったから、オヤジのどんなワガママも聞いたよ。



辛そうにすることもあって心配だったけど、一緒に海を見ながらボーっとして、
ゆっくりできたから、それは良かったな。



旅行後、1ヶ月ほどして再度入院。

毎日お見舞いに行くんだけど、家にいる時より元気そうに見えた。
やっぱ俺が看病するより病院のほうが安心だなとか思ったよ。

やたらと元気になった(ように見えた)オヤジは、当然のように
「退院はいつだ?」と突っ込んでくる。

入院から3週間ほどして退院に。

病院から帰ってきたオヤジは階段が上がれなくなっていた。
歩くのはできるんだけど、階段はきつかったみたいで。

そこからは、俺はオヤジの奥さんのようになった。

朝、オヤジの部屋に顔を出し会話をしてから出社。
仕事が終わるとオヤジに電話して、欲しい物を聞き、オヤジの部屋に届ける。

オヤジは食欲がなかったから一緒に晩メシとはならなかったけど、
一緒にテレビを見ながら、できるだけ会話するようにした。

でも最後のほうは会話もままならず、何を言っているのかもわからなくなってた。

「これはいよいよヤバイかも」と思っていた矢先に入院。

入院から11日で亡くなってしまった。

亡くなる2日前まで競馬やってたんだよ、あの人。
朝、新聞を届けて一旦病院を出て、予想が終わった頃にもう一度病院に行って、
オヤジの買い目を聞き、俺が馬券を購入する。

まさかさ、その2日後に死ぬなんて思わなかったよ。
元気とは決して言えない状態ではあったけど・・・

オヤジが亡くなる前日、用事があって俺は病院に行けなかったんだ。
そしたらその翌日に死んじゃうんだもんな。

毎日見舞いに行ってたのに、その1日行かなかっただけでこんな事になるなんて。

なんかさ、この事だけは後悔した。

オヤジのために俺が出来る事は全てやったか?と言われたらわからないけど、
すくなくとも俺の出来る範囲ではやったつもり。
だって後悔したくなかったからさ。

最後の最後に後悔することになっちゃって、悲しかった。

15日の昼過ぎに亡くなったんだけど、誰にも会わずに逝ったんだって。
というか、誰も間に合わないくらい急変したみたいでね。

オヤジはどんな気持ちで逝ったんだろう。
最後に会いたい人はいたのかな。

なんかね、それを考えるとせつなくなった。

でもね、最後は苦しまなかったんだって。
オヤジが入院した時からずっと
「俺は苦しみたくないから、苦しそうにしてたら殺せよ」っていつも言ってたんだ。

「オヤジは殺しても死なないよ」って冗談で返してたけど、
俺もオヤジが苦しむのだけは見たくなかったから、それは良かったんじゃないかと思う。

俺の祖母がガンで亡くなった時も、
本当に苦しそうだったし、あれだけは見てられないからね・・・

オヤジが亡くなってからは、泣いてる暇はなかったな。
全てが初めてのことだし、やる事も多い。
ま、そのくらいのほうが俺としてはいいんだけどね。

でもね、昨日、葬儀が終わってからなんかポッカリ穴が開いちゃった感じで・・・

何をするんでも思い出すんだよね。
このジュース、好きだったなぁとか、そんなことだけでも思い出してしまう。
強烈すぎるんだ、あの人は・・・

思い出を作りたくて行った旅行の事より、普段の事のほうが泣けてくる。
毎日ずっと一緒にいたからね。

色々な話があって、オヤジがいなくなった後も大変すぎるほど大変だし、
あれやこれや言う人や話も聞くけど、
やっぱ俺はオヤジが大好きだしオヤジがいないと辛いわ。

ただ、今回の事で良い事もたくさんあった。
一番良かった事は、離れていた兄弟がまた集まって力を合わせられたこと。
何よりも、これはオヤジが一番喜んでいるんじゃないかな。

世界中の誰よりもオヤジを大好きな3人が集まって、
全然会っていなかったとは思えないほど、3人が力を合わせてオヤジを送れた。

オヤジにそっくりな次男の英二。
お前、ずっと「おにいちゃん大丈夫?」って声かけてくれたな。

大丈夫じゃねーよ、全然大丈夫じゃねーから。
辛くて辛くて倒れそうだよ。

でも、お前の言葉と気持ちで倒れないで頑張れてるよ。

一番しっかりしてる三男の真吾。
「何かあったら何でも手伝うから言ってね」って言ってくれたな。

おぅ、どっちが長男かわからないくらいお前に甘えて、
おんぶに抱っこに肩車でお願いしちゃうよ。

本当にヤバくてどうしようもなくなったらな。

長男が長男らしくなくて、お前らも大変だと思うけど、
オヤジがオヤジだから、俺の事も大目に見てやってくれ。

俺はお前らが兄弟で良かった。
オヤジの血を引き継いでても、立派な弟達で良かった。

英二は嫁とこれから生まれてくる子供を幸せにしてやってくれ。
真吾は、出来すぎな嫁と可愛い子供2人といつまでも幸せに頑張ってくれ。

俺は・・・それなりに頑張るよ。

最後に、ストームライダー関係の皆さん、友人の皆さん、仕事関係の皆さん、
色々とご心配ご迷惑をおかけしました。
みんなのおかげでなんとか頑張ってます。
今度、ゆっくり酒でも飲んで俺を甘やかし労わってください。

本当にありがとうございました。

最後の最後に・・・

オヤジ、お疲れ様。
最後のほうは、苦しかったり痛かったり嫌な思いをしたね。

でも、もうそんな思いはしなくていいんだから、良かったじゃん。

これから天国で、じぃちゃんとばぁちゃんに怒られたりするのかね?
「お前はろくなもんじゃねー」ってさ。

それもいいか。ちょっと怒られて改心してください。

まだこの世に未練があるとか言って、若いねーちゃんのケツを追い掛け回したり、
賭け事ばっかやって失敗しないように、
俺からもじぃちゃんとばぁちゃんにお願いしとくわ。

見守っててなんて言わなくても、このへんウロウロしてそうだけど、
心配しないでゆっくりと休んでください。

病気の事を知って11ヶ月間しか濃い時間を過ごせなかったけど、
オヤジが俺のオヤジで良かったよ。

オヤジ、本当にありがとう。
また今度、ゆっくり酒でも飲もう!!!